この時間が好き

 

映画や小説を読み終わった後のこの時間が好きだ。すぐに行動して何かをしたいって感情と終わった余韻にまだ浸かってたいって感情が、心のパレットの上でごちゃ混ぜになって、やがて灰色になる。この僕の語彙ではきっと表せない、こんな感情が好きだ。この時だけは世界がゆっくり、そして静かになる。ゆっくり、でも確実に時間が過ぎていることを時計の秒針が教えてくれる。これがないと僕はあと20年はこのまま過ごしてきっと売れ残りのアラフォーになってしまうと思う。でも、それでも良いと思えるこの気持ちが好き。現実を教えてくれる時計の針も好き。今だけはなんでも許せる気がする。

絶望

後悔し、絶望すると世界がとても狭く感じる。それがいかに惨めで、哀れなものかを突きつけてくるように。ゆっくり、とてもゆっくりだけど確実に自分を追い詰めるように。でもその空間にもう一人、愛すべき人がいればどれだけ心が救われるだろうか。追い詰められた狭い、けれども果てしなく大きすぎる、一人ではとても抱えきれない空間にもう一人。人は皆、そんな人を探して生きている。狭いようでとてつもなく広いこの世界でそんな相手と巡り会うことが僕の夢。世界のどこかでひっそりと息をしているそんな美しくて愛おしい存在と巡り会うことができたら僕はこの世の全てを受け入れて、過去の絶望をきっと愛せることでしょう。希望がないと絶望は生まれない。けど、絶望があるからこそ希望が何倍にも輝く。僕は幸せ者だ。絶望を先に知ることができた。だからあとは、、、

私は毎日進んでいるのか

時間は理不尽に私を拐いあっという間に昨日の自分は死んで今日の自分に入れ替わる。実感はなくてもカレンダーや毎朝嫌な顔でカーテンの隙間を覗いてくる彼が教えてくれる。何も変わってないようで毎日、毎秒私たちは変化を繰り返して数年後には大きな変化になっていく。それでも私と彼や夜しか顔を覗かせない彼女との距離はずっと変わらない。いや、変わっているのかもしれないけれど、私が生まれて死ぬまでの間にはきっと大きな目に見える変化はないだろう。明日にさらわれる今日の自分はあっという間に昨日の自分に。夢を見ていた明日の自分はなんの変哲もない今日の自分に。私たちは進んでいるようで進んでない。けど、進んでないようで実は進んでいる。こんなにも理不尽な世界で生きている命はきっと何よりも尊いはずだ。糸色体。糸色命。死んでいった命のありかをこの目で見る事はできないがそれを愛すことはできる。無駄な命なんかひとつもない。私が嫌いなあいつらだって地球上で同じ空の下で同じ空気を吸っているんだから。無駄じゃない。きっと全部。

私は愛したい

自然の中では自分の歩が何故かゆったりしていた。一回深呼吸。深く、深く息を吸った。体の周りに薄い空気の膜を張るように、空気が体の一部になっていくのを感じるように、息を吸った。私の足の裏は大きな根を張っていた。一歩一歩、地面から養分を受け取るようにゆっくりと足を踏み出した。新しい一歩を出すごとに前の一歩よりも強く根を張っていく感覚があった。この時には既に欠けている自尊心、他人に対する嫉妬心、将来への不安、全てがどうでもよく感じた。どうでもいいと言っても現実逃避した訳ではない。でも、今だけは、今だけこの場所を、、、、私は愛したい。

 

 

この文は家の近くにある大きな公園で歩きながら書きました。

愛したいって書こうとしたのにはじめ間違って「足痛い」って書いてしまい一人で壺に入ってました。よかったら笑ってあげてください。皆さんが幸せでありますように。